2002年某国首都に初めて赴任した際、駐在員は自動車の運転を禁止され、運転手付のレンタルカーを使う事になっていた。よって仕事上もプライベートも主な交通手段はこれ一本であった。一部の車メーカー以外は、殆どの日系企業で、当時は某国での運転行為は危険だという事で社員の運転をプライベートであっても厳禁にしている会社が多かった。従って、会社としては社員と社員の家族向けに交通手段として、レンタル車両を契約していた。

通常は社員数に応じてレンタル車が数台あったので、社内にはその運転手用の控室が有り、何時でも待機して何処にでも行ってくれる便利な環境が整っていた。それ故、公共の交通手段も使う事はないし、目が向く事もなかった。時々タクシーを使うことはあったが、何処に行くのか運行ルートも分らない公共バスは先ず乗ろうとも思わない存在だった。住所制度でさえしっかり整備されていない某国首都では、バス停に書かれている名称などは、目的地を探す上でも何ら目安にもならない。「次は、呉さんの窯業所」「次は、胡さん村」「次は、ガラス工場跡です。」と言われても地図にも書かれている地名とも合致しないし地元の人以外判るか?そんなバス停の名前!



 某国首都を走っているバスは「公交車」と呼ばれ、私が赴任した頃は、外見もみすぼらしく不潔な感じで、乗り慣れる迄はどの路線がどこに向かうかも理解できない存在だった。バスの車体は所謂広告ラッピングと呼ばれるシールが張られ、走る広告塔になっていたが、剥がれたり重ね着させているものだから汚らしくなる。

 「空調付」と自慢げに表示してあるバスとそうではないバスでは、値段も違うと聞いていた。ガソリン車が中心だったが、バスによってはガソリンなどではなく屋根に電柱を立て道路上に張り巡らされた電線ルートに沿って走る、昔の日本では“トローリーバス”と呼ばれたタイプも存在した。このトローリーバスは、私が56才の頃、宇都宮市の街を走っているのを見て以来 久々に目にした。日本ではとっくに姿を消したタイプであるはずだ。懐かしさもあって某国首都で一度乗ってみたが、電気で動く割にはモーター音がうるさい!しかも、中に車掌が乗っていてこれもうるさかった。


 偶々気が向いて乗ってみたが、乗った途端に女車掌に「どこまで行く?」と聞かれて困った。目的地など無く、何となく乗ったのだから「どこまで?」と言われても答えに窮すのだ。車掌が目的地を聞くのは、当然行く場所によって料金が異なるからである。当時某国市内は、距離によって、または空調があるか無いかで1元か2元の2種類の料金体系だったと記憶しているが、こういう場合は適当に「3つ先の停留所まで・・」ぐらいの返答をして1元を払うことに。大体 バスの路線数が多いのはわかるが、どういうルートに何番のバスが走っているか等はさっぱり判らない。何処までが1元で何処までが2元になるかもわからず、切符買うのに小銭を持たず100札など出そうものなら、態度の厳しい車掌にどやされた。よって某国生活を始めた頃、バスを使うなんてことは滅多になかったのである。

 2008年の某国首都オリンピック開催を前に、面子を重んじる某国の指導者たちは、今迄走らせていた黒煙を吐くボロバスとボロタクシーの一掃に取り掛かった。あっという間に近代的なバスが導入され始めバス車内の清潔度も格段に向上した。2階建てバスも欧米との合弁で国内生産され, 洒落たカラフルな色合いの近代的タイプが走るようになって、同時にワンマン化も進みボロバスと態度の悪かったクソ車掌はセットで姿を消していったのである。地下鉄とバスの共用プリペードカードが発行され、それを持っていればカードリーダーにタッチするだけ、車掌に「どこまで行くの?」と聞かれる煩わしさもなくなった。

 私の方も会社の経費節減のため、高いお抱え運転手&レンタルカーをやめて、時とともに便利になる公共バスと地下鉄を使うようになった。会社は利益が出始めていたが、細かい経費を切り詰めてこそ更なる安定した運営ができるのである、その為、会社のあらゆる経費を詰めて20台ある社有車も軽自動車に変え燃費を節減してきたので、私自身も率先してバス通勤に変えたわけだ。運転手付レンタル車をやめると遠出の時は困るが、運転免許を取り、そういう時は自分で運転すればよい(日本本社も運転を認めるように情勢変化してきた)。また、特に休日に移動する時は、今まで目にしていたが乗ったことはない路線に乗ってどこに行くのか冒険してみるのも面白かった。停留所が多すぎて、一々その名前を覚えるのはできなかったが、何番のバスがどの道を走り、何処で何番のバスと交わる等と知識が付いてくると楽しいものである。次第にバスを利用する機会が多くなった。

 前述した公共交通手段で共有できるカード(日本のスイカみたいな)が使えることは大きなメリットである、第一利用料がバカ安い。某国首都の場合市民サービスの向上という事で1元だった路線価格が4毛(0.4元)になって カードに100元チャージしたら何か月もチャージする必要がなくなった。2階建てバスの2階最前列に陣取り、某国首都の第2環状道路や第3環状道路を一周するバス路線で一日カメラを抱えて時間をつぶすこともあった。

 天津に移動して後は自分で車を運転する方が増えたが、それでもバス路線を使う機会は多かった。バスの路線を知れば知るほど、町の状況や市民生活を理解することもできるのである。

 某国の市内路線バスは、日本のバスのように目的地表示ではなく「782」「301」「776」「812」といったナンバー表示である。よく見れば最終地名も据え置きプレートには書いてあるが ナンバーをLED表示にしているので いつでも別の路線に回すことができるようになっている。だから ナンバーを覚え どこに何番のバスが走っているか注意深く観察すると タクシーがなくても家に帰りつくことができるようになる。路線はやたらと多いのである。正に庶民の足であり、市内なら一乗車最高2元で乗り継いで何処にでも行ける。

 ただ交通カードの使えない路線に当たる場合がある。その為に1元とか2元の小銭を常に持っていないといけない。大抵ワンマンバスの運転手は「おつりはないよ!!」というのが当たり前だからである。20元札しか持っていなくて乗ってから気がついてももう遅い。御釣りがないので1元のため20元を払うことになってしまう。某国人がこういう状況になった時は、同乗している客に金が崩せないか聞き廻ってなんとか崩しているが、私などはそんな気の利いた事はできないので損をする事態が何度もあった。

 ここまで読まれた方、やはり某国のバスは日本のバスに比べ時代遅れてしているね」と思われるかもしれない。運転手のサービス精神という方面では確かにまだまだである。公共バスということ良い事に平気で交通違反する運転手も多い、長い信号待ちで乗客をバスに乗せたまま 一人でバスを降りて車脇で立ちションをする運ちゃんだって普通だ。でもね・・・バスの運用システムは、ある面で日本より遥かに優れている所があるのですよ・・・・ 

 先ず某国のバスは全てGPS機能を搭載して、全ての路線で運行しているバスの状況が、携帯電話のアプリで表示できる。このアプリを使えば自分が今いる場所の付近500メートル圏内のすべての停留所名が距離別に表示される。画面を地図に切り替えればどうやってその停留所まで行けるか教えてくれるのだ。今度は、停留所名をクリックすればそこに走る路線バスがすべて表示され、路線バスナンバーをクリックすれば上下線ともに何分後にバスが来るか一目でわかる仕組みになっている。バスに自分のバスがどういうルートを走り、今何処を走っているかもリアルタイムで地図表示される。日本のバス停には、到着時刻が表示されているが、某国ではそんな表示はない・・・大体時間通り走れないからである。その分このようなシステムでカバーしている。バスの車内には、死角の無い様にカメラが付いており運転手から後ろの情景を見ることができる。

 天津市は、完全電動バスが主流になりつつある。市内各所に充電所が整備され 大型バッテリー交換方式と充電ケーブル接続型の2種類が使われている。万一の為の小型ガソリンエンジンも積んでいて、ハイブリッドである所が先進的と言えるだろう。



上写真は、バスの充電所でケーブル方式で充電する市内バス。電気バスであり オール電化が進んでいる。下は、大型バッテリー交換型で 大きな棚に入っているのは、1日十分もつ大型車載バッテリー、これを丸ごと入れ替えるだけで 充電時間は、必要ない。




 バスのタイプもバラエティに富んでいる。交通量の多い路線は、2連結バスが主流で2階建てバスもあり 小型マイクロバスタイプも路線バスとして使われている。観光地には、2階建てバスが様々なタイプを取り揃えて走っている。

  最後に私が毎日通勤に利用するバスを紹介しょう! 朝 停留所をアプリで検索 どっちの停留所に先にバスが来るかで 停留所を決める。バス停に立ち携帯アプリで検索すると「バスは、あと30秒で到着」と出た、もう視界にバスが見えるころだ。

 一応手を挙げバスが確実に止まってくれるよう態度で示す。バスに乗る時のマナーはまだまだである、皆 順番などお構いなしに乗り込む、大抵前乗りの後ろ降りであるが、混みだすと「後ろから乗るよ!」と運転手に声をかけて後ろから乗る客も増えて満員ギューギューである。自分が次の停留所で降りたい時、日本なら扉の前に立っている人に「すいません・・次降ります」と言って譲ってもらうが、某国の場合は、扉前の人に「あなた次で降りますか?」と聞くのである。聞かれた側は、降りなければ場所を譲る、これも文化の違いだ。人が少ない時は、運転手が「次降りる人いる?」と大声で怒鳴る。返事がないとその停留所はスルーで通過である。老人、妊婦、怪我人を見かければ席を譲る人が殆どだ。この面では日本人は見習わねばならないほど道徳的。公共バスは、正に某国の文化の縮図なのかもしれない。    (2017年4月記)

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ボクの某国論
其の二十五 バスは、文化の縮図だね